借鏡國際 日本熊本の地方創生|市原ファミリー 余った栗が導いた「ふるさとへ帰る」可能性

農産物の過剰生産に悩む熊本県山鹿市で、市原家はアイスクリーム製造や洋菓子店、里山農場の経営を通じて、生産者の主導権を加工・流通段階から取り戻そうとしている。あえて困難な道を選び、小さな町から大きな可能性を生み出している家族の物語である。

日本熊本の地方創生|市原ファミリー 余った栗が導いた「ふるさとへ帰る」可能性

市原ファミリーはそれぞれが異なる専門性を持ち、故郷・山鹿市で事業を展開。互いに支え合いながら、地域農業の課題に挑んでいる。

熊本県北部、熊本市から車で約1時間の距離にある山鹿市は、酒蔵、温泉、古い町並み、栗、そして灯籠まつりで知られる。この町で、市原家の父と3人の息子が協力して、農業の6次産業化(一次=生産、二次=加工、三次=販売・観光)を実現。2022年には農林水産祭「多角化経営部門」で最高栄誉である天皇杯を受賞した。

だが、市原家は代々続く農家ではない。実は父子4人とも一度はふるさとを離れ、大都市で模索と失敗を重ねてきたのだ。

「ふるさと嫌い」から始まった革命

「熊本なんて嫌いだった。戻ってきたのは、いつも行き詰まった時だけだった」。そう語るのは、父・市原幸夫。若い頃はアパレル業、建設業、物産館のコンサルなど様々な仕事を経験し、「負けず嫌い」で挑戦を続けた。そんな彼の人生を変えたのは、アパレル会社の社長の一言だった。「熊本って、お前にとって何なんだ? お前は熊本に何ができる?」

1997年、彼は地元に戻り、山鹿市で余剰となっていた栗や柿の問題に取り組むため「パストラル株式会社」を創業。アイスクリームの製造に挑戦した。「これは個人の挑戦ではなく、地域の課題だ。小さくて美しく、強い村を作りたい。何もしなければ、何も始まらないから。」

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栗や柿の生産過剰という地域課題を解決するため、アイスクリームが市原家の「帰郷への鍵」となった。

とはいえ、彼にはアイスづくりの経験はなかった。周囲は猛反対。それでも2700万円の融資を受けて起業し、初年度は1000万円の赤字。会計士には撤退を勧められたが、「地元の規格外農産物を使い、少量多品種で生産する」という信念を貫いた。

老舗和菓子店と、アイス未経験者の異業種コラボ

情熱だけでは成功しない。戦略も必要だった。市原幸夫は、地元の和菓子屋に目をつけた。伝統菓子が若者に敬遠されつつある中、「アイスと掛け合わせたら、ブームになるかもしれない」と直感したのだ。彼は自作のアイスをそのまま和菓子屋に送り、「事前にお伝えせず申し訳ありませんが、一度食べてみてください」と手紙を添えた。

すると、島根県津和野町の「源氏巻」の老舗から連絡があり、パストラルのアイスと源氏巻のコラボが実現。これが話題となり、老舗に新しい風を吹き込んだ。

長男・市原邦彦は帰郷後、ネット販売を担当。売上は年商1億円に到達するも、COVID-19でアイスの出荷がストップ。売上は3割に激減。「普通の工場なら潰れていたかも」。だが、郊外に開店した洋菓子店が2年目で軌道に乗っており、危機を乗り越えた。

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「ricca」は美しい環境とともに、人と人、人と土地をつなぐ場であることを目指している。

父は販売、邦彦は商品開発と、分業体制で業務を拡大。カスタマイズ可能な製品づくりが評判を呼び、Gapやリプトンなど大手企業とのコラボも実現。これまでに開発したアイスの種類は300以上。全国200社と取引するまでになった。

信頼と分業、四人家族のリレーレース

その後、二男・伸生、三男・勇生も帰郷。それぞれが「自ら穴に飛び込む」形で役割を担っている。

二男・伸生は自然が好きで農学部に進学。東京のスーパーに3年勤め、流通を学んだが、311震災を機に、結婚を機に、里山農業への道を選んだ。「毎日電車に揺られながら、ガラスに映る自分がつらそうで…」。そう語る彼は、山鹿の田畑で新たな生き方を見つけた。

山鹿市は西日本有数の栗の産地。伸生が帰郷して栗農家となった当時、彼は最年少の栗農だった。初年度の栽培は失敗に終わったが、諦めることはなかった。

三男・勇生は、東京で洋菓子の修行を重ね、有名店で経験を積んでいたが、ある日帰省して栗の収穫を手伝った際、「原料から関わる菓子づくり」に魅力を感じた。「代官山にいたら、いつか洋菓子を嫌いになってたかもしれない。でも山鹿なら、別の可能性があると思った。」

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三男の市原勇生は東京で洋菓子の腕を磨き、帰郷後はフランス菓子店「ricca」を任されている。

父はそんな三男の思いを信じ、2億円を借りてフランス菓子店「ricca」を開業。山鹿の栗を使った「モンブラン」は名物に。滝のように絞られた栗クリームの中に、栗アイスと生クリームを包んだ一品は、「栗そのもの」の風味を感じさせる逸品だ。

山鹿産の栗を贅沢に使ったモンブラン。中には栗のアイスと生クリームが入っており、「ricca」の看板商品だ。

これは山鹿の柿と栗だ

だが、農村には次々と新たな課題が訪れる。日本では一次生産者の加工・販売は奨励される一方、加工業者が自ら生産を始めるには法的な壁がある。栗の原料が足りないため、農業を始めようとしたが、役所に聞いても誰も答えられなかったという。

それでも、伸生は栗の苗を300本植えた。1本も残らなかったが、「それが普通。だから続ける」と話す。合鴨農法で育てた米も直販が難しく、夫婦で全国のマルシェに出店し、理念も同時に伝えている。

ある年、栗が大豊作となり価格は半値に暴落。農協の買い取り価格は下がっても、流通はリスクを負わない。「農家が苦労して育てたものの値段を決められないなんて、おかしい。利益配分の構造が変わらなければ、栗も、文化も消えてしまう。」

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干し柿の加工業も衰退している中、市原家は買い取った干し柿のうち2割をアイスや栗ペーストに加工。残り8割は、街中に干し柿を吊るす冬の風景「冬の風物詩」として観光化し、価格維持を図った。幸夫は胸を張る,

「これは柿じゃない、山鹿の柿だ。値段は市場が決めるんじゃない。ここが決めるんだ」

干し柿の加工業が衰退すれば、関連産業にも大きな影響が出る。未来に干し柿を食べ続けられるのか——地域の存続が問われている。

地域を成すことは、自分を成すこと

市原家は今、アイスクリーム店、洋菓子店、里山農場を運営し、訪れる人は食と農業体験を楽しめる。今後はワイン用のぶどう栽培と小規模ワイナリーの設立を予定。規模拡大ではなく、農業の価値そのものを高める取り組みだ。

市原家の多角化経営により、訪れる人々は食や農業体験を通して、山鹿の里山の魅力を五感で味わうことができる。

こうして多角化経営が根付いたことで、3兄弟とその家族は故郷に根を下ろし、能力を発揮できる場を得ている。

農林水産祭で天皇杯を授与した当時の熊本県知事・蒲島郁夫氏はこう語った――
「普通のことだけをしていては、この賞は得られません。いまの時代、非凡なことに挑戦したからこそ、その価値があるのです。」

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*作者:李佩書,2025微笑季刊夏季号『有料的博物館旅行』より抜粋,原文:日本熊本地方創生|曾是「討厭家鄉」的人,從過剩的栗子開始,市原家用冰淇淋找回家的可能

おすすめスポット

ricca
住所:熊本県山鹿市鹿本町来民1929-2
公式サイト:ricca

Pastoral(パストラル)
住所:熊本県山鹿市鹿本町来民1929-2
公式サイト:Pastoral

編集:曾詠榆

微笑台灣 (日文版)

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