「おばちゃん、今店にいる?7kg注文してもいい?」と電話で豚の軟骨肉を注文しているのは、1990年生まれの劉雨樵(リィゥ・ユー チィァォ)さん。髪留めを付けて、厨房へと向かい、4台の大同電気鍋と炊飯器と共に今晩の戦いに備えようとしていた。
まずは、豚の軟骨肉の調理からだ。「私、結構味にはうるさいんですよ。米糕にはゴマ油なんです。ほかのは絶対入れません。」劉さんが作る米糕は、祖母直伝の製法を改良した逸品なのだ。本来の伝統的な米糕の製法は鶏肉を使用しているのだが、細い骨があるため、子どもやお年寄りにとって不便な食べ物だった。そこで、食べる人の気持ちを考えた几帳面な性格の劉さんは、鶏肉の代わりに豚の軟骨を使って調理を試みたのだった。しかし、豚肉の臭みを取る工程はひと手間かかる。まずは中火で豚肉の血を少量の油でさっと炒め、その次に強火で豚肉油を炙り出し、その後、肉を取り出し熱湯で煮る。最後に、冷水に付けることでようやく食感が良くなるのだ。
一見、熟練そうな様子を連想させるが、実際のところ2015年の7月から始めたばかりなのだ。しかし、短い期間の間で「糯夫米糕」は瞬く間に有名になり、その腕も技術もしっかりと身についていったのだ。劉さんが言うには「しゃもじを入れるだけで、できたかどうか分かってしまいます。」とのこと。豚の軟骨肉は、硬い食感からさくさくした食感、そして最後は口の中でとろけるという米糕は、お年寄りも楽しめる食べ物なのだ。これは、劉さんが試行錯誤の末、探し当てた一品なのである。「分からないときは人に聞くこと。これは、仕事をしていて常に気づかされたことです。」
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糯夫米糕が一躍有名になって長蛇の列ができたのは、毎日限定80皿という「数量限定販売商法」を行っているからと思う人がいるかもしれない。しかし、実際は人手不足と手作りによる製造に限界があるからである。

中華鍋で炒めた香りを保つために、豚肉をうまく環状に重ねながら血抜きを行っている。また贅沢だが、効率的で何度も使える豆乳袋を米袋の代わりにして、米糕を木樽の中に入れている。もち米は煮詰め具合が鍵となり、米が半熟の状態になったら鍋から取り出し、一晩蒸しておくことで、ねっとりして、食感が良くなるのだ。この業界での秘訣について、劉さんは「何事も必ず改善できる方法はがあります。それが自分の力で完成したのなら、すごい達成感を感じます。」と語っている。
劉さんの祖母の実家は、幼稚園を経営しており、劉さんは幼い頃から厨房で祖母の後を追っかけまわしていた。台湾の世新大学で勉強している時も、バイト以外の時間を見つけては、料理を作って友達を家に誘っていた。大学を卒業し、兵役を終えて社会に出てからは、「食」に関する職業に就きたいという気持ちがはっきりとしていき、ラーメン屋や、鉄板焼き屋を開きたいと思ってた時期もあったが、最終的に自分の好きな食べ物をダメにしてしまうのではないかと思い、断念したそうだ。
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以前、親友と話していた時に、「何の食べ物が一番印象的だった?」と聞かれ、真っ先に頭に浮かんだのが、祖母の米糕だった。「糯夫(中国語の“弱虫”と同じ発音)」というユーモラスな店名も当時の友人のアイディアなのだ。まさか、あの日あの時のことが劉さんの心の中で芽生え、花が咲くとは思ってもいなかったようで、その日から「米糕が存在している理由」について考え始めたそうだ。

劉さんが言うには、「昔の學甲区では、どの家庭も健康のためや、冬至のために米糕を作っていました。または、産褥期の妊婦さんに食べさせてあげるために作っていました。」とのこと。しかし、今では都市や台中、北部に位置する地域はこの味を知らないのだ。そして、劉さんが懸念しているは、台南人もこの味を忘れてしまう日が来てしまうのではないのかということである。
このような心配から劉さんは「登場の仕方」の重要性について考えてきた。まずは、祖父が当時サバヒーを積んでいた自転車の手入れをし、60KGにも及ぶ米糕を載せ、トレードマークのデザインと旗作りを行った。しかし、販売初日で売れたのはたったの2つだけ。その日残った米糕は全てホームレスたちに配っていったという。当時の状況について劉さんは「思い返してみれば、夜の八時半からの販売で、その時間帯はみんなお腹もいっぱいですし、販売していた場所も暗くて、蚊もたくさんいたので、誰も買わない、誰も近寄らないのは当たり前の結果ですね。」と笑いながらも、問題に直面したらすぐに解決すること、そして目標に向かって一歩ずつ進むことの意気込みを語っていた。
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FBのファンページを成立したての時は、毎日独り言のように呟いていたが、今では一言呟くだけで、販売30分前には長蛇の列が出来上がってしまうぐらいなのだ。そして、毎日のようにもち米を炒め、米糕を掘り返しているせいで、劉さんの人差し指は変形してしまっている。そんな彼は鍋を洗うことが一番嫌いである一方で、米糕を売っている時にお客さんと世間話をすることが一番好きだそうだ。「台南市内には田舎から嫁いできたお母さんやおばさんがたくさんいて、おふくろの味がすると言って、わざわざうちの米糕を買いに来るんですよ。」と語る劉さんが作り出す米糕の味は、彼女らの記憶と気持ち呼び覚ましているのだ。そう感じてくれる人がいるから、糯夫米糕はこれからも続けていく確信を得ていくのである。

古宅に住み、14台のレトロな自転車を集めている劉さんは、小学二年生の時に母から買ってもらったハサミを持ち手が壊れても接着剤でくっ付け直しては使い続けていたというエピソードを話してくれた。昔を懐かしながらも「今年一番学んだことは、生活を営むことですね。」と語っていた。首席第2ヴァイオリン奏者であると同時に、テコンドーや絵画も得意で多彩な才能の持ち主で、なおかつ、性格もユーモラスでポジティブな彼からは、紆余曲折な人生を歩んできたことは想像つかないだろう。小さいころから成績はクラスの中でドベ寸前だったことや、ヴァイオリンを続けられなかったこと、また、浪人で大学の再受験を経験してきたことも語ってくれた。「私の座右の銘は「Striving for the best、最善を尽くすことです。今はそれを体に刻んでいます。」今では、米糕が祖母の記憶と父との和解を受け継ぎ、彼により明るい将来への青写真を繋げているのだ。
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80人分の米糕はたったの75分で完売される。「次は、米糕を背負って台湾を一周してみたいですね。各地の食材との組み合わせも試してみたいです。」糯夫は目を輝かせ、古びた自転車に乗り、今もなお前へと突き進んでいるのだ。
おすすめスポット
糯夫米糕
場所:台南市中國城正後方運河の河沿い
Facebook:糯夫米糕
*原文作者:李佩書 微笑台湾『2016 草根款款行』より抜粋,原文出處